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腹話術の悲哀

 去る8月14日に発表された内閣総理大臣談話は、古くて新しい談話であった。それは、「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史」に言及し、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」について触れていた。そして談話は、それを、歴代内閣によって堅持されてきた立場として肯定したのであった。こうした表現は、先の大戦を、日本によって遂行されたアジアへの侵略戦争として反省するという歴史認識とつながっているはずのものである。

 一方この談話は、アジアに押し寄せた西洋諸国による「植民地支配の波」を、日本にとっての「近代化の原動力」と認め、「アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜いた」日本の歴史を誇らしく語っていた。そして日露戦争の勝利を「多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」ものと評価し、そして欧米諸国によってすすめられた「植民地経済を捲き込んだ、経済のブロック化」を、日本をして「新しい国際秩序」への挑戦に向かわしめた重要な契機として指摘した。その行間から滲むのは、先の大戦を、反帝国主義的な解放戦争として擁護したいという欲望であろう。

 このそれぞれの認識は、それ自体としてはなじみ深いものである。前者は、いわゆる戦後民主主義のなかで培われてきたオーソドックスな歴史認識の表明であるし、後者もまた、戦後日本において、東京裁判を批判する国民主義的な語りとして、繰り返し主張されてきた。それでもなお、安部談話に新しさを認めるとすれば、それはこの二つの相容れざる認識を、一人の人物が、単一のスピーチで語ったことのうちに求めるほかはない。

「侵略」か「解放」か。このなじみ深い歴史認識の闘争は、戦後日本の保守政権が直面しなければならなかったアポリアを集約的に表現している。かれらは、自国の歴史に誇りを持つため、「先の大戦」を日本の立場から正当化することを望んだ。一方かれらは、戦後の自由主義体制を堅持するため、日米安保体制を受け入れる必要があった。問題は、そのパートナーたるアメリカが、「先の大戦」で日本を敗戦に追い込み、そして占領下の東京裁判により日本を裁いた当事国であったことである。歴史を救おうとすれば、アメリカは拒絶されなければならない。アメリカを受け入れるためには、歴史を批判しければならない。かれらにとって、この二つの帰結は、どちらも受け入れ難いものであった。かれらに求められたのは、アメリカを受け入れるとともに否定し、歴史を批判しつつ正当化するという「離れ業」であった。

 戦後保守政権は、こうした「離れ業」を「分業」というジェスチャーによって維持してきた。侵略戦争への反省が公的に堅持される一方で、植民地支配を正当化する閣僚らの私的な発言が繰り返されてきた。首相が靖国参拝を「自粛」する一方で、閣僚の参拝が集団的におこなわれてきた。すなわち、戦後日本の保守政権は、この相互に相容れざる歴史認識を別々の主体に演じさせることで、ともに保存することに成功してきたのである。

 そして8月14日にわれわれが目撃したのは、この二つの声を、同時に発する一人の人物の姿であった。これまで、まがりなりにも「分業」がおこなわれてきたのは、これら二つの認識を、単一の語りとして統合することが不可能であると認識されていたためであった。そしていま、一人の人物によって、この二つの声が抵抗なく発せられているとすれば、それはアポリアをアポリアとして認識する能力そのものが、希薄化していることの証左というほかはない。観客に気取られない腹話術は、すぐれた技能である。しかし、自覚のない腹話術は、やはりもの悲しい。

 この腹話術の悲哀は、「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持」することを「不動の方針」として貫くことを誓った内閣が、憲法違反の疑義をかくも広範に指摘されている安保法制の実現に向けて疾走するという眼前の光景からも濃厚に立ち上る。「普通の国」になりたいという欲望に一定の意義を認めるにせよ、それが果たしてこのように、歴史と知性との引き換えにおいてしか実現できないものなのかどうか、われわれは立ち止まり、慎重に考える必要がある。


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